03.10
琵琶湖の水に抱かれるアート体験 キュンチョメ「100万年の子守唄」高島市で開催中

2026年2月21日から高島市大溝地域の3軒の古民家で開催されている展覧会「キュンチョメ 100万年の子守唄」は、琵琶湖の悠久の時間を「子守唄」に喩えたアートユニットの新作群が、水の文化が息づく歴史的空間に溶け込む特別な機会を提供する。本展は滋賀県立美術館が湖北地域で展開する新プロジェクトASK01の第1弾であり、無料で観覧可能。水中映像や立体作品を通じて、人間中心を超えた愛と癒しの形を問いかける内容から、現代アートが地域の自然と生活に根差す意義が明らかになる。
ASKプロジェクトの始動と展覧会の位置づけ
滋賀県立美術館が2026年に開始した「ASK01 滋賀県立美術館 湖北における現代美術展」は、琵琶湖北側地域(湖北)を舞台とする3年間のシリーズ企画である。ASKは「Art Spot in Kohoku」の略称で、高島市を皮切りに米原市、長浜市を順次巡回し、アートを通じて地域住民や訪問者の心に問いを投げかける試みだ。初回に選ばれたアーティストユニット・キュンチョメは、2011年の東日本大震災を契機に活動を開始したホンマエリとナブチの2人組である。
彼らの創作は、海や自然、動植物、死者、目に見えない存在に焦点を当て、人間中心主義を超えた「新しい愛のかたち」やウェルビーイングを探求するものとして国内外で高く評価されてきた。公式サイトのプロフィールによれば、作品は儀式的な行為を通じて関係を結び直す試みであり、映像、インスタレーション、参加型パフォーマンスを横断する。過去の主な展覧会には「あいちトリエンナーレ2019」、森美術館「六本木クロッシング2022:往来オーライ!」、金沢21世紀美術館「現在地:未来の地図を描くために[1]」などがあり、第17回岡本太郎現代芸術賞を受賞した実績を持つ。
本展のタイトル「100万年の子守唄」は、キュンチョメが大溝地域を訪れた際に着想を得たものだ。有数の古代湖である琵琶湖は約400万年前に形成され、人々や生き物を長く見守ってきた存在として描かれる。公式プレスリリースでは「悠久の時を刻み、人々やあらゆる生き物を見守り続ける琵琶湖の存在を『100万年の子守唄』になぞらえた」と記され、関西での初個展として位置づけられる。新作4点を含む計8作品(平面2点、立体3点、映像3点)が展示され、琵琶湖にほど近い環境で近作と新作をまとめて鑑賞できる稀有な機会となっている。
企画を担当した学芸員・真山陽理子氏は、展覧会を通じてアートが地域の人々とつながる場を創出することを目指した。協力団体には大溝の水辺景観まちづくり協議会や地元企業が加わり、美術館を飛び出した地域密着型の取り組みとして注目を集めている。開催日数は27日間と限定的ながら、会期中の金曜日・土曜日・日曜日および2月23日(月・祝)に開場し、観覧料無料という点が幅広い来場を促している。

プロジェクトの背景にある湖北地域活性化の狙い
滋賀県立美術館は2021年のリニューアルオープン以降、「かわる かかわる ミュージアム」をコンセプトに地域とのつながりを強化してきた。ASKプロジェクトはその延長線上にあり、美術館へのアクセスが比較的難しい高島市をはじめとする湖北地域にアートを直接届けることで、県内格差の解消と文化振興を図る。令和8年度は米原市、令和9年度は長浜市への展開が予定されており、3年間で湖北全体をアートスポット化する長期ビジョンが描かれている。
キュンチョメの選定理由は、彼らの作品が自然災害や社会問題、自然そのものと向き合う姿勢が、琵琶湖という水の恵みを象徴する地域と共鳴するためである。過去の震災関連作品では被災地に滞在し祈りの形を模索してきたが、本展では平和な水環境の中で「愛」をテーマに転換している点が特徴的だ。
展覧会開催の経緯とキュンチョメの現地滞在
キュンチョメは展覧会に先立ち大溝地域を実際に訪れ、水路が町全体に張り巡らされた様子や山から琵琶湖へ集まる水の流れに強い印象を受けた。アーティストのコメントとして「ここは水に抱擁される場所だと思った」「いろんなところからやってきたものが最終的にここに集まるように感じた」とTokyo Art Beatのレポートに記されている。この体験がタイトルと作品群の基調を形成し、琵琶湖を「世界の『愛』である水を受け取る場所」として再解釈した。
こうした現地調査は、サイトスペシフィックな作品制作を可能にし、古民家の暮らしの気配とアートが交差する独自の空間を生み出した。事前申込不要の学芸員による展示解説とまちあるきツアー(3月7日、3月20日開催)も実施され、参加者は歴史的文脈を深く理解しながら鑑賞できる仕組みとなっている。
キュンチョメの創作哲学と過去作品の軌跡
ホンマエリとナブチによるキュンチョメは、2011年の東日本大震災における大津波と原子力事故を契機に結成された。公式サイトのバイオグラフィーでは「人間が自然をコントロールしようとしてきた歴史とその不可能性を問い直し、支配ではなく循環に基づく関係を模索する」と述べられている。表現手法は映像を中心に、詩的でユーモラスなインスタレーションや参加型パフォーマンスまで多岐にわたり、緊張感のあるテーマを扱いつつ鑑賞者が心身を解放できる空間を提供する。
主な受賞歴として第17回岡本太郎現代芸術賞(2014年)があり、以降「あいちトリエンナーレ2019」や森美術館でのグループ展、フィリピン・ヴァルガス美術館での個展「All Living Things Are Breathing Now」(2025年)など国際的に活躍を広げている。2023年の黒部市美術館個展「魂の色は青」ではハワイ・フィリピン滞在経験を活かした新作を発表し、「新しい幸福」を提示した。
過去作品の例として『指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く』(2011年)や被災地での参加型プロジェクトが挙げられる。これらは複雑な感情や意見を反映しつつ、祈りとして機能する点が共通する。本展では震災後の「祈り」をさらに進化させ、琵琶湖の水を通じて癒しとつながりを強調する転換が見られる。

東日本大震災後の創作転換と「新しい愛のかたち」
震災直後、キュンチョメは被災地に滞在しながら映像やインスタレーションを制作した。『海の中に祈りを溶かす』(2022-2023年)のような水中作品は、プラスチックごみを人型に加工し再び海に返す行為を通じて、人間と海洋の関係を問い直す。こうしたアプローチは本展の水中映像群に直結し、琵琶湖という内水面で「祈りの溶解」を再解釈している。
また、参加型作品『記憶のアイスクリーム』では観客の記憶を交換する試みを行い、対話を超えた内省を促す。インタビューでは「自分の記憶の中にダイブしてもらいたい」とホンマエリ氏が語り、ユーモアを交えつつ深いテーマに迫る手法が一貫している。
国際展覧会での評価とウェルビーイング探求
海外での個展では、フィリピンやアイルランドで「All Living Things Are Breathing Now」を発表。呼吸をテーマに全生命のつながりを表現し、環境危機時代に響くメッセージを発信した。国内では金沢21世紀美術館での展示で未来地図を描く試みが評価され、岡本太郎賞受賞作も含め、社会的コミットメントと芸術性のバランスが特徴だ。本展はこれらの蓄積を琵琶湖という身近な自然に落とし込み、ウェルビーイングの実践として地域に還元している。
高島市大溝地域の水文化と会場となる古民家の歴史的意義
高島市大溝地域は琵琶湖西岸に位置する旧城下町で、戦国時代に織田信長の甥・織田信澄によって築かれた。比良山地からの湧き水、内湖・乙女ヶ池、町中を流れる古式上水道が特徴で、日本遺産や重要文化的景観「大溝の水辺景観」に指定されている。水路が生活道路にまで入り込む独特の景観は「水に抱擁される町」としてキュンチョメの着想源となった。
会場は3つの歴史的建造物で、すべて現在は使用されていない旧家や米蔵である。①旧福井盛弘堂(勝野1340、旧和菓子店、通称「つながりの家」)、②中田家住宅旧米蔵(1350、通称「治癒の家」)、③林家住宅旧米蔵(1256)。会場間は徒歩5分以内とコンパクトで、まずは①で受付を行いマップを受け取る形式だ。アクセスはJR近江高島駅から徒歩10分、京都駅から湖西線で約40分と良好で、市営駐車場も利用可能である。
古民家の段差や暗い室内は映像展示に適し、冷え込み対策が必要な点が注意事項として挙げられている。車椅子スロープや筆記ボードも完備され、インクルーシブな配慮が施されている。

水路と内湖が育んだ独自の生活文化
大溝の水文化は古くから上水道や内湖を活用した生業を支えてきた。中町通りや宝・北本町の景観は現在も保存され、散策マップが配布されるほど町全体が展覧会の舞台となっている。キュンチョメは「山から流れてきた水が琵琶湖へ集まる様子」を「いろんなところからやってきたものが最終的にここに集まる」と表現し、水の循環を愛のメタファーとした。
琵琶湖固有種のニゴロ鮒や近江米を活かした地元産品(鮒寿司、味噌)は、来場者の体験を豊かにする要素として報告されている。無料で飲める井戸水も、水の恵みを体感させる。
古民家を会場に選んだ理由と空間的特性
旧福井盛弘堂の台所や中田家旧米蔵の外壁は、作品の設置に最適だ。歴史的建造物の奥ゆかしさと現代アートのコントラストが、観る者の想像力を刺激する。無人公開の③会場を含め、すべての作品を鑑賞するには最低40分を要し、町歩きを前提とした設計である。
3会場に展開する作品群と水中映像の核心
出品作品は映像3点、立体3点、平面2点の計8点。新作4点(《あいまいな地球に花束を》《あなたの傷が癒えますように》《Ghost in the Ocean》《ライフ・イズ・ビューティフル》)が中心だ。
①会場では台所に《あいまいな地球に花束を》(2025年)が置かれ、世界中の人が描いたあいまいな地図を基にした青い地球型花瓶に花を挿す。②会場外壁には《あなたの傷が癒えますように》(2025年)が掲げられ、癒しの祈りを象徴する。映像作品《Ghost in the Ocean》(2025年)や《海の中に祈りを溶かす》(2022-2023年)は暗い室内で投影され、水中ダイバーの気泡や青い深淵が古民家の木造天井に映し出される。
《金魚と海を渡る》(2022年)は金魚の視点から海を旅する映像で、添えられた言葉が来場者の涙を誘うと報告されている。Bijutsutechoの開幕レポートでは、水が「愛」の象徴として主役級に扱われ、鑑賞者が身体をチューニングする体験と位置づけられている。

新作の制作背景と「愛」の多層的表現
《あいまいな地球に花束を》は世界地図をモチーフに地球のあいまいさを視覚化し、花束で癒しを加える。作家投稿では「世界中の人が描いたあいまいな世界地図を元に地球のような花瓶を作りました」と説明されている。《Ghost in the Ocean》は海洋の幽霊的存在をモチーフに、琵琶湖の深層と重ねる。
これらの新作は過去の海中作品を内水面に適応させたもので、プラスチックごみ問題から祈りの溶解へ、さらに癒しと循環へ進化している。
映像作品の技術的特徴と古民家とのコラボレーション
5〜10分の映像作品は暗室で上映され、天井高い古民家の木組みが没入感を高める。ダイバー映像の気泡や青いスクリーンは、来場者の足元にまで光を反射し、身体全体で水を感じさせる。Tokyo Art Beatレポートでは「琵琶湖のほとりで地球とつながる感覚に出会う」と評されている。
観覧体験と地域との融合が生む新たな可能性
来場者レポートでは、3会場を散歩しながら鑑賞する体験が強調される。X投稿では「水中映像が水を大切にするこの街の古民家と巧くコラボ」「無料で飲める井戸水も美味しかった」との声が寄せられている。ワークショップ「花になる」(2月22日)や「愛のための刺繍 ~犬をふわふわにする会~」(4月19日)、アーティストトークも開催され、参加型要素が豊富だ。
まちあるきツアーと地元産品との連動
学芸員ツアーでは大溝の歴史を解説し、琵琶湖産ニゴロ鮒の鮒寿司や近江米味噌を購入する体験が推奨される。散策マップ配布により、展覧会が町全体の活性化につながっている。
類似事例との比較とユニークな点
過去のサイトスペシフィック展(例: 黒部市美術館個展や被災地プロジェクト)と異なり、本展は平和な水文化を基盤に「癒し」を前面に押し出した点が新鮮だ。他の古民家アート(例: 全国の空き家活用展)と比べ、水路網との一体化が際立つ。
要点の再整理と広範な影響の整理
1. 会期は2026年2月21日~4月19日で金土日+祝日のみ開場、観覧無料。 2. 会場は高島市勝野の大溝地域3古民家、JR近江高島駅徒歩10分。 3. 作品数8点(新作4点含む)、映像作品が古民家空間で没入体験を提供。 4. タイトルは琵琶湖の古代湖性を「100万年の子守唄」に喩えたキュンチョメ命名。 5. アーティストは2011年震災後結成、岡本太郎賞受賞のホンマエリ&ナブチ。 6. ASKプロジェクト第1弾として湖北地域活性化の先駆け。 7. 大溝地域は水路・内湖の日本遺産級景観、水文化が作品の核心。 8. 新作《あいまいな地球に花束を》は世界地図花瓶で地球のあいまいさと花の癒しを表現。 9. 《あなたの傷が癒えますように》は外壁設置で地域全体に祈りを広げる。 10. 水中映像《Ghost in the Ocean》や《海の中に祈りを溶かす》が青い深淵を投影。 11. 来場者体験に井戸水や地元鮒寿司が加わり、五感で水を体感。 12. ワークショップ・アーティストトークで参加型要素を強化。 13. 過去作品との比較で、震災祈りから水の愛・循環へ進化。 14. 琵琶湖固有種ニゴロ鮒など生物多様性がテーマの背景。 15. 今後のASK展開で米原・長浜への波及が期待される。 16. 観光促進と地域コミュニティ形成の効果が既に顕在化。 17. 環境意識向上と人間中心主義の見直しを促す社会的意義。
本展の技術的影響は、映像と古民家の融合により没入型インスタレーションの新基準を提示した点にある。経済的には高島市への観光客増加と地元産品消費を促進し、短期的に商業活性化、中長期的に文化観光基盤を強化する。社会的には水の循環を「愛」として再定義し、環境保全意識や地域アイデンティティを高め、国内外の類似プロジェクト(例: 欧米のサイトスペシフィック展やアジアの水辺アート祭)と比較して日本独自の自然共生モデルを示す。国際比較では、フィリピン個展での呼吸テーマと共通しつつ、琵琶湖の地政学的文脈が独自の深みを加えている。潜在リスクとして古民家の保存管理がある一方、機会として次回ASKでの持続的地域連携が挙げられる。関連分野への波及として、教育プログラムやエコツーリズム開発が次に注視すべきポイントだ。
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