奈良時代、行基によって開創されたと伝えられる玉泉寺(ぎょくせんじ)は、阿弥陀山山麓の泰山寺野(たいさんじの)の裾野に位置し、天台真盛宗の末寺です。その後、享禄4(1531)年の大火によって寺地を失いましたが、天文2(1533)年には、田中城の城主であった田中下野守理春(しもつけのかみみちはる)が荒廃を嘆き、再興したと伝承しています。 境内本堂の前方南向きに並んだ五智如来坐像は、室町時代後期の造立と考えられ、「鵜川四十八体石仏」(高島市)と石工技術を同じくする集団の影響が考えられます。花崗岩(かこうがん)を丸彫りで削り、重厚感のある見事な石仏です。左側から阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、弥勒菩薩、釈迦如来の順に並び、天台密教の思想を反映しています。 阿弥陀如来は膝上に上品上生定印(じょうぼんじょうしょういん)を結んでおり、像高約1・58メートル、肉髻(にっけい)に螺髪(らぼつ)が刻まれ、衲衣(のうい=僧衣)紋は浅い彫り出しです。薬師如来は右手を挙げて施無畏(せむい)印、左手は膝上に置いて薬壷を持ち、像高約1・67メートル、肉髻に螺髪が刻まれ、衲衣紋の流れはありません。真ん中に胎蔵界(たいぞうかい)大日如来、ほかの如来と違い頭部に宝冠をいただき、膝上で法界定印を結んでおり、像高約1・64メートル、安定した姿は美しい。その他の写真を見る(2/2枚) 弥勒菩薩は右手を挙げ施無畏印、左手は膝前で弥勒触地印(みろくそくちいん)を結んでおり、像高約1・4メートル、肉髻に螺髪が刻まれ、衲衣紋に変化はありません。釈迦如来は右手を挙げ施無畏印、左手は膝上で与願印(よがんいん)を結び像高約1・4メートル、肉髻に螺髪が刻まれ、衲衣紋が彫り出されます。いずれも体部厚は約50センチほどの薄さで、形態的にはぎこちなさが見られますが、瞑想(めいそう)的な面相がうかがえ、慈悲感があふれています。五智如来の前には、石仏阿弥陀如来坐像二体が見られます。

情報源: 【石仏は語る】瞑想的な面相 慈悲あふれ 玉泉寺石仏群 滋賀県高島市 – 産経ニュース